皆さんおはようございます、ねこまくりです。
8月6日の広島原爆記念日、村下孝蔵という広島で活動していた歌手を思い出します。
(1999年死亡)
お笑いものまねバンド【ビジー4】のグッチ裕三を地味にしたような風貌です。
(出典:guccies.com)
彼のフォークソングがぼちぼちヒットし始めた1982(昭和57)年、ワタクシも丁度広島で一浪していました。
【ゆうこ】という歌は、夏頃からラジオでしばしば聴いて、
聴くたびにじーんと来た、彼の一番好きな楽曲です。
同時期に世間で大ヒットしていたのはあみん【待つわ】ですが、これとは丁度主人公の男女を入れ替えたような曲ですね~
ワタクシは両方を聴いてしみじみと秋を迎えました。
さらに寒い冬を過ぎて、そろそろ広島を出ていく頃になって、いよいよ、【初恋】
が大ヒット致しました。。。
浅い夢だから 胸をはなれない
ゆうこ(1982年)
記憶の陰にぽつりと座り 淋しげに
白い指先 ピアノを弾く女
・・・
言い出せない愛は 海鳴りに似ている
遠くから絶え間なく寄せ 胸を強く揺さぶる
【ゆうこ】は4月発売の曲だったようですが、ワタクシは、夏休み頃に初めて聴きました。
広島のローカルラジオでよくかかっていました。
自閉してうつ状態の彼女はひたすらピアノばかり弾いて、
彼は全く相手にされずに彼女は孤高にピアノ三昧である。
論外の彼は、ピアノに専心する彼女を見守るばかりで、
どうしようもなく自分の胸は熱く高鳴るばかり。
―――といった歌です。
広島の夏休みは8月下旬の東大模試に照準を合わせて、
毎日予備校の学習室に通って【大学への数学】の問題集を解きまくっておりました。
相棒も毎日来ていましたが、そんなに勉強する必要もない人で、横で寝てばかりいて、
ワタクシの猛勉強は【ゆうこ】のピアノみたいなものだったかも❓️
踊り子(1999年。発売年は違います)
つまさきで立ったまま 二人愛してきた
狭い舞台の上で ふらつく踊り子
お互いに無理し合って恋愛を続けたがもう疲れたので別れた、という感じでしょうか❓️
この曲は延岡市の精神病院でワタクシと同じ年格好の患者さんがカラオケの時いつも歌うので覚えた曲です。
『二人愛してきた』
の部分を物凄く怒鳴るように歌うので、ご自分の思い出の曲なのだろうと思います。
20年以上前ですが、今でも愛の怒号❗️でビリビリ来たことを体で覚えています。
その長期入院患者の病棟で毎週土曜日にカラオケ大会があったのですが、初めて呼ばれたのは8月14日でした。
若いけど役職の看護師に呼ばれたのですが、
ワタクシは【ほの字】になってしまって、その後毎週行くようになりました。
(先行き真っ暗だったのはその日撮った逆光線写真に見え見えですねwww)
9月の敬老の日に梅沢富美男の【夢芝居】を歌ったのですが、
その練習だけはバッチリ出来てました❗️❓️
今当時を振り返ると、
【踊り子】を歌った患者さんと【夢芝居】を歌ったワタクシとは、
全く同様のフラレ男同志じゃないかと大爆笑です❗️❗️
最後までお読み頂きありがとうございます。