皆さんおはようございます、猫枕です。
10月5日は【俺たちの旅】が日本テレビ系で放送開始された記念日です。
1975(昭和50)年、ワタクシ小6の秋でした。
全46話なんですが、再放送が非常に多い番組で実際に見たのは、簡単に100回を超えているでしょう。
しかも、上の写真のDVD-BOXを買ってさらに全話、何回も何回も繰り返し見てますから、その主題歌など数百回も聞かされていることでしょう。
その時3人で汚い噴水の中をじゃぶじゃぶ歩いたり、
中村雅俊が津坂まさあきを肩車してさらに田中健を肩車するシーンは、
ものすごく憧れのシーンで、ワタクシもやってみたいと思っていました。
(出典:上の二枚:yakume.sakura.ne.jp)
(出典:plaza.rakuten.co.jp)
しかしながら、、、
結局ワタクシは情けないワカメになってしまいましたw
3人の主人公のおまけに付いてきて超うぜー❗️東大浪人生【ワカメ】みたいになってしまいました。
ワカメは、いつもよれよれの着物を着てワカメみたいに見えたので、そういうあだ名で呼ばれたのです。
卒後10年目、20年目、30年目に再会する2時間ドラマもありましたが、
その中で一番若々しく元気溌剌だったのがワカメだったのを見て、ちょっとだけ気分がいいです。。。
56の爺さんが主題歌を歌う
見苦しいかもしれませんが、56才の爺さんが夏用パジャマで失礼いたします。
主題歌鑑賞(全く個人的感傷)
夢の坂道は木の葉模様の石畳
(出典:trafficnews.jp)
昭和58年頃、西武新宿線中井駅前で初めて見ましたが、滑り止めには大してなってなくて、雪の上で思いっきり転んだことがあります。
『兄ちゃん、見事なコケっぷりだね~』
と婆さんに言われたのが恥ずかしくて、今でも懐かしいですね。
まばゆく白い長い壁
これもその下宿の近所に寺か神社があって白い長い壁が続いてましたね~
足跡も影も残さないで
結局東京には3年間、ただいただけで、足跡も影も残せず、愛媛のど田舎に帰ることになりました。
22才の春。
たどりつけない山の中へ
続いているものなのです
正にど田舎野郎が、
『東京で一旗上げてやるぞ❗️』
という思いは叶わず、
元のど田舎の奥の山の中に消えて行ったという話です。
結局ドラマの通りになりましたw
(出典:ameblo.jp)
【ひとり】俺たちの旅は鳥取大学医学部の2次募集受験にて終わりました。
羽田から直接米子空港に向かい、お受験致したのです。
このドラマ自体、鳥取砂丘で始まって、なぜか終わりも鳥取砂丘で、妙な因縁だな~と思ったところです。
ついでに言うと、このドラマを見た小6時代の担任の名前は【米子】(よねこ)さんで、お受験フライトが米子(よなご)空港着で、これまたすごく因縁深いことだな~と思いました。
主題歌の初めのシーンから鳥取砂丘なのも意味深ですね~
(出典:amazon.co.jp)
(冷蔵庫にあるワタクシ撮影のもの)
またまたさらに、もう一つ因縁があって失笑❓️致します。
当院の医局の水はいろはす です。
が、採水地は3カ所のうちで一番遠い大山(だいせん)になっています。
大山と言えば、鳥取大学医学部のある地方にあって、当然その周辺は大山の水でしょう。
大分県なのに大山というのは非常に悪意❗️❓️を感じますね~
地理的に言って、阿蘇が一番近くて便利なのでは❓️
2番目がえびので一番遠いのが大山じゃないですか❗️
『ああ、全く、何もかも不明な食事選びですね~どうでもいいけどw』
最後までお読み頂きありがとうございます。